久留米市美術館

1898年に25歳で早逝したオーブリー・ビアズリー(Aubrey Beardsley 1872-1898) は、蝋燭の光をたよりに、精妙な線と大胆な白黒の色面からなる、洗練された作品を描きつづけました。代表作は、1893年より刊行されたイギリスの雑誌「ステューディオ」に掲載された《サロメ》など。この雑誌は、夏目漱石が購入するなど早々に日本にも知られ、間接的に、青木繁らが明治期にヨーロッパ文化を吸収する際の典拠の一つとなりました。
本展覧会はヴィクトリア・アンド・アルバート博物館(V&A)の協力により、出世作であるトマス・マロリー著『アーサー王の死』(1893-94) や、よく知られるワイルド著の『サロメ』(1894)、後期の傑作ゴーティエ著『モーパン嬢』(1897) をはじめとする初期から晩年までの挿絵や、希少な直筆の素描を展示します。さらに、彩色されたポスターや同時代の装飾などの約200点を通じて、19世紀末の欧米を騒然とさせたビアズリーの歩みをたどります。
約5年という短い期間に1,000点以上の作品を遺したビアズリー。初期の傑作《「ジークフリート」第2幕》をはじめ、ビアズリーに影響を与えたイタリアルネサンス期の画家アンドレア・マンテーニャの版画、子どものころに愛読したグリーナウェイの絵本などを紹介します。
事務員をしながら独学で描いていたビアズリー。とある出版業者の目に留まりアーサー王物語を題材とした本の挿絵を依頼されたのを機に仕事を辞めて画家となりました。同時期に制作された愛らしい『名言集』の挿絵や、ビアズリーのデビュー当時、彼の指針となったモリスの書籍やバーン=ジョーンズ、ホイッスラーらの作品を展示します。
まだ無名だったビアズリーが表紙を飾った雑誌『ステューディオ』創刊号は人々に衝撃を与えました。のちに、同じ構図の一枚を含むオスカー・ワイルド『サロメ』(英語版) の挿絵により、彼の名声は決定的となりました。21歳のビアズリーは時代の寵児となり、革新的な文芸雑誌『イエロー・ブック』の編集に携わり、その才能を遺憾なく発揮します。
ビアズリーが手がけた『サロメ』の挿絵は、ワイルドの小説の絵解きではなく、ビアズリーの世界観による「サロメ」でした。この章では、ワイルドや、同時代の人々を魅了したサロメのイメージを絵画や舞台など様々な側面から紹介します。
名声に包まれロンドンに瀟洒な自邸も手に入れたビアズリーでしたが、はからずもスキャンダルに巻き込まれます。『イエロー・ブック』の仕事を失い、生活費のために「よからぬ」絵に手を染めることもありました。当時の秘めやかな作品の一部や、自邸の書斎の思い出の品をご覧いただきます。
ビアズリーは晩年まで、自らの表現を追求しました。新たに立ち上げた雑誌『サヴォイ』を発表の場として病魔に苦しみながら制作を続けたのです。後期の作風を示す『髪盗み』『モーパン嬢』などを展示します。
※所蔵標記のないものはすべて、ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館 Photo: Victoria and Albert Museum, London
個人 | 団体 | |
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一般 | 1,500円 | 1,300円 |
シニア | 1,200円 | 1,000円 |
大学生 | 700円 | 500円 |
高校生以下 | 無料 | 無料 |
前売り (Pコード687-192/Lコード86710) | 1,200円 |