久留米市美術館

橋口五葉(1881-1921)は、わが国におけるブックデザインやグラフィックデザインの先駆的存在です。鹿児島に生まれた五葉は、東京美術学校(現・東京藝術大学)西洋画科在学中に、兄の紹介で夏目漱石と知り合い、漱石の小説家デビュー作『吾輩ハ猫デアル』の装幀を手がけたことで、一躍注目を浴びます。五葉はその後も漱石の著作をはじめ、泉鏡花、森鷗外ほか、数多くの作家の装幀本を手がけ、ブックデザインのパイオニアとして、日本の近代文学を美しく彩っていきます。
さらに三越呉服店のポスター懸賞で一等賞となった《此美人》や、後年アップル社創業者のスティーブ・ジョブズも愛蔵した新板画《髪梳ける女》など、装飾と絵画、伝統と革新、日本と西洋の美意識が混ざりあう独自の五葉ワールドを確立しました。
本展ではこれまで紹介されてきた版画家としての活動に加え、五葉の〈グラフィックデザイナー〉としての仕事に注目し、『吾輩ハ猫デアル』をはじめとする装幀本、スケッチ・画稿、刷見本、絵画作品、新板画ほか、作品・資料約220点をとおして、優美で豊穣なる「橋口五葉のデザイン世界」をご紹介します。
夏目漱石は小説家としての出発点である『吾輩ハ猫デアル』を出版するにあたり、美しい本を作りたいという願いを持っていました。漱石から装幀の依頼を受けた五葉は、タイトルを漢字カタカナ交じりとし、アール・ヌーヴォーの影響をうかがわせる朱と金の題字装飾、表紙上部の天金、アンカット(未裁断)の本文をペーパーナイフを使って読み進める形式など、斬新なアイデアによって日本の近代文学とブックデザイン史に大きな足跡を残す装幀本を生み出しました。
五葉は兄・貢の紹介により漱石の知遇を得て、俳誌『ホトトギス』の挿絵で画家としてデビューします。その後、同誌に掲載された「吾輩は猫である」の挿絵や、表紙画を手がけるなど、新進のイラストレーターとして『ホトトギス』に欠かせない存在となります。漱石からの厚い信頼と評価を得た五葉は、『吾輩ハ猫デアル』につづいて、『漾虚集』から『行人』に至るまでいずれも異なる意匠を凝らした11作の華やかで美しい「漱石本」を手がけました。
ブックデザインの先駆者として頭角を現した五葉は、「漱石本」のほかにも、『アラビヤンナイト物語』などの翻訳文学や、泉鏡花や森鷗外などの文豪たちの書籍装幀を担いました。著作の世界観や著者の個性をふまえ、表紙や見返し、本文にいたるまで、細部にこだわり抜いたデザインと高い印刷技術をもって「美しい本」のすがたを追求し続けました。
五葉の祖先は島津家の御典医をつとめ、橋口家の庭には名残の薬草園があるなど、幼時から植物に親しむ環境で育ちました。はじめ日本画を学んだ五葉は、親戚であった黒田清輝のすすめもあり、東京美術学校西洋画科で画技を磨きます。装飾と絵画、伝統と革新、東西文化の融合を目指し、日本画・洋画・図案・版画といった様々な分野を横断するマルチアーティストとして、鮮やかな色彩や、花鳥のモチーフを用いた装飾性の高い絵画やポスターを制作しました。
五葉は1911年に三越呉服店の懸賞広告において《此美人》で1等となり、当時としては破格の賞金千円を獲得します。その後、五葉が旅に訪れたのが大分県の耶馬渓や別府で、文人墨客が愛した名勝や、温泉場での浴女との出会いは、後の木版画制作における重要なモチーフとなりました。広重や歌麿など、江戸時代の浮世絵版画の研究を重ね、金・銀箔や空摺、豪華な多色版により、彫師・摺師との協業から創造した「新板画」の精華を存分にごらんいただきます。
個人 | 団体 | |
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一般 | 1,200円 | 1,000円 |
シニア | 900円 | 700円 |
大学生 | 600円 | 400円 |
高校生以下 | 無料 | 無料 |
前売り (Pコード687-193/Lコード86711) | 900円 |